大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大津地方裁判所 昭和47年(ワ)42号 判決

原告 稲本ハル

右訴訟代理人弁護士 吉原稔

被告 観光日本株式会社

右代表者代表取締役 安達貞市

右訴訟代理人弁護士 森川清一

主文

被告は原告に対し金一四〇万八、五三四円およびこれに対する昭和四七年四月二〇日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。原告のその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

第一項は仮に執行することができる。

事実

第一、申立

(原告)

被告は原告に対し金二六四万九、〇五二円およびこれに対する昭和四七年四月二〇日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決と仮執行宣言。

(被告)

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

≪以下事実省略≫

理由

一、当事者および原告の症病の経過

(一)  次の事実は当事者間に争いがない。

原告は夫と子供三人を有する主婦であるが、昭和四一年にゴルフコース等を経営する被告会社に雇われ、京都西コースにおいてキャディとして勤務してきたところ、左足の半月板損傷に罹病し、昭和四四年三月五日滋賀病院に入院し、同月一四日左足外側半月板摘出手術をうけ、同年四月二五日まで同病院に入院し、以後通院治療につとめた。

原告は同年八月二五日、当時被告会社でバッグ係をしていた野口定子が病気のため入院する必要があったこともあって、バッグ係に復職した。バッグ係は客のゴルフバッグを運搬する仕事であるが、原告がバッグ係に戻るまでは、常時二人で担当していた。復職後原告は、しばらくこの仕事を野口と入れ替わりに入ったアルバイトと二名で担当した。同年一一月に野口が復職したので以後昭和四五年一月二九日まで野口と二人で勤務し、同年一月一二日には中村京子が入社したので、一時三名でバッグ係を担当したが、同年二月一日から野口が東コースに、続いて同年四月一日付で中村が西コース事務所にそれぞれ転勤したため、以後バッグ係の常勤者は原告一人となった。昭和四五年一月二日から同年六月二二日までの西コースの来客数は別表(一)の来客数欄記載のとおりである。

バッグ係に復職後原告は再び足の痛みに襲われ、同年五月四日滋賀病院において再度足の治療を開始し、同年六月二三日から会社を休業して通院治療した。同年九月より昭和四六年五月まで大津市民病院に通院し、同年五月一九日より翌四六年八月までは守山市守山町寺内整形外科病院に通院し、さらに同月一七日から同年一一月二日まで同病院に入院治療した。寺内整形外科病院における病名は左膝関節外側半月板損傷、両膝関節炎である。

原告は、同年一一月三〇日付で休職期間満了により被告会社を退職した。

(二)  ≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められる。

(1)  原告は西コースでキャディとして稼働するうち、昭和四四年一、二月ころから足の痛みを訴えるようになり、跛をひいて仕事を続けていたが、同年二月二八日滋賀病院で診察を受けたところ、左膝関節外側半月板損傷、右踵骨棘、右膝関節炎と診断され、同年三月五日同病院に入院し、同月一四日左膝外側半月板摘出手術をうけた。摘出した原告の半月板にはバケツ状の損傷がみられた。手術後の経過は良好で二週間程度の患部のギブス固定を経たのち、同月末ころから歩行訓練を始め、同年四月二五日退院、以後通院治療に切りかえた。同年七月末ころにはそれまで見られた術後の膝関節部分の水腫も見られなくなり、痛みも次第に治まり、通常の歩行にはほゞ支障のない程度まで病状は回復した。

原告は、同年八月二五日、後記(3)の経過を経て被告会社に復職したが、復職後も同年一〇月七日までに同病院に通院治療を続けた。

なお、同病院における原告の病名は、右のとおりであるが、同病院における初診時のレントゲン所見には膝部分に変形性関節症(骨棘の形成)が認められた。

(2)  半月板は膝関節の骨と骨との間にある軟骨で、いわば骨と骨とのクッションの役割を果しているため、半月板を失うと関節部分の無理がきかない状態になり、足に負担を加えると変形性関節症や関節水腫などを誘発し、膝関節炎などの関節の疾病をきたす結果になり勝ちである。したがって右手術後は長時間の歩行や重い物の持ち運びあるいは階段の昇り降り等を伴う仕事は好ましくないものとされている。原告は手術後主治医の谷田医師から同様の注意を受けていた。

(3)  原告は滋賀病院に通院治療中の同年八月ごろ、自宅に京都西コースの実質上の支配人の地位にあって、被告会社から従業員の監督につき全権限をまかされている石井治作主任の訪問をうけ、被告会社への復職を勧められた。原告は当時まだ通院治療中で足が完治していなかったために「足がよくないからキャディの仕事は勤まらないから会社をやめさせて欲しい」旨述べ右石井の勧めを断ったが、それでも原告が仲間(原告は近隣の主婦ら二〇名位と集団的に就職していた)から脱落することの淋しさを訴えるため、偶々当時バッグ係の野口定子が病気で入院して同係が手薄すとなる時期であったため、石井はキャディの仕事が駄目ならバッグ係に復職するようにと勧めた。原告は従来のキャディの経験から、バッグ係の仕事は詳しくは知らなかったものの、大よそのことは見当がついていたため、それも余り気が進まず、一旦は断ってみたものの、右石井が、原告がバッグ係に復職するならば、アルバイトの補助をつけるなどして、原告に余り負担をかけないように配慮する様な口振であったので、原告もこれを承けて、前記(1)のとおりバッグ係に復職することになったのである。なお、原告は右復職の件を主治医の谷田医師に、これから事務的な仕事につく旨報告した。

石井は入院中の原告を見舞ったこともあり、その症病や手術の経過も知っており、また右原告に復職を勧めた際、原告が一見して判るような跛をひいていたことから、荷物を持って長時間歩くキャディの仕事は無理であると判断したが、原告に対してバッグ係への復職を勧めるにあたってはバッグ係はキャディほど足に負担のかかる仕事でなくアルバイト等の補助をつければ充分堪えられると考え、敢えて原告の足が西コースにおけるバッグ係の仕事に耐え得る状態にあるか否かについて医師に問い合せることはしなかった。

(4)  バッグ係の業務は、ゴルフ場に客が到着した際、客の持参したゴルフバッグをクラブハウスの玄関からクラブハウス内のスタート事務室前まで運搬し、客の帰る際にはキャディが玄関まで運んでくれたバッグを間違いのないよう確認して客に手渡す仕事である。客の中にはゴルフ場に到達した際玄関までバッグを持参しない者もいるのでこの場合には玄関からさらに駐車場までバッグを取りに行くことになる。

西コースのクラブハウスの玄関からスタート事務室までは別紙図面の如く、先ず屋外の玄関前広場から四段の階段(一段の段差一八糎・踏み段巾三五糎)を上ると玄関があり、さらに八段の階段(一段の段差一三糎・踏み段巾三四糎)を上るとテラスがあり、このテラスと同一平面上にフロント事務室ホールが設けられ、さらにホールから三段の階段(一段の段差一八糎・踏み段巾二八ないし三〇糎)を上ってロッカールーム前広間に達し、その右手にスタート事務室があり、玄関からスタート事務室までは約四〇米である。しかして、当時のバッグ係の定位置はテラスからホールへ入った左手の控所であったため、客が玄関に来ると、右ホールから出て、玄関テラス間の八段の階段および時には更に四段の階段を降りて、玄関附近でバッグを受けとり、これを前記階段を含む経路をかつぎ上げて、スタート事務室へ運ぶ訳であり、駐車場は玄関から二〇米位離れたものと、一二〇米位離れたものがあるから、そこまで取りに行く場合はこれにかなりの歩行距離が加わることとなる。

一方ゴルフバッグの重量は平均すると約七・五キログラムあり、重いものでは一二キログラムのものもあるが、客は一度に複数人が来ることが多いから、一度に一個ないし三個、多い時には六個位を肩にかけて運搬するのである。なおサービスとして、フロントまで客のボストンバッグなども運ばねばならない場合もある。(ちなみに、原告がバッグ係をしていた昭和四五年一月二日から同年六月二二日までの西コースの来客数および同年三月末日までのバッグ係の担当者数は前記当事者間に争いのない事実のとおりである。)

西コースでは秋の九、一〇月ごろと並んで春の四、五月ごろが最も繁忙期とされているところ、同年三月末ごろまでバッグ係は常時二人(一時的には三人)で担当していたが、同年四月一日付で同僚の中村京子が事務室に配置換になってからは、バッグ係の常勤者は原告一人となった。その後間もなく原告は石井主任や山本次長らに対し、足の痛みを訴えバッグ係を増員して欲しい旨再三にわたって要求したが、被告会社はとりわけ来客数の多い日曜祭日等にアルバイトを増員したのみで原告が休職するまで常勤者の増員はなかった。原告が一人でバッグ係を担当するようになった同年四月一日以降同年六月二二日までの原告の稼働状況、アルバイト応援人数は別表(二)のとおりである(同表中来客数は当事者間に争いのない別表(一)の来客数による)。

(5)  原告は同年五月四日滋賀病院で再度足の治療を開始し、同年六月二三日以降は会社を休んで通院治療につとめた。その後の原告の治療経過は前記当事者間に争いのない事実のとおりである。

なお、原告の滋賀病院での治療再開当時の病名は左膝外側半月板損傷兼変形性膝関節症、右踵骨棘、尾骨痛、および右アキレス腱周囲炎であり、大津市民病院での病名は両膝関節炎である。

≪証拠判断省略≫

二、責任

(一)  因果関係

原告は、足の悪化がバッグ係の過重な労務に基因するものであると主張し、被告は、原告には復職前から左膝には半月板損傷のほか変形性関節症が右足には腫骨棘および膝関節炎等の疾病がそれぞれ存在したためであるとしてこれを争うのでまずこの点につき判断する。

原告が半月板損傷で滋賀病院に入院した当時既に原告の両足には被告主張の如き疾病が存在したことは前記一(二)(1)に認定したとおりである。

しかし乍ら、原告の従事したバッグ係の業務の内容は前記一(二)(4)に認定したとおりであって、客の来る都度ホールからテラスを経て八段ないし一二段の階段を降りて、玄関あるいは駐車場まで赴きそこで平均約七・五キログラムのゴルフバッグを一個ないし数個肩にかけて、引き返し、合計一五段の階段を上って、スタート事務室までこれを運搬するのが主たる業務内容であるからこれを健康な普通人にとって、あるいはキャディ等他の仕事との比較において過激な仕事であるか否かはひとまず措くとして、原告のように左膝半月板摘出手術の術後にして、長時間の歩行や重い物の持ちはこびあるいは階段の昇り降りなどには充分気を配ばらなければならない事情にあった者にとってはその程度如何によっては、かなりの負担となり、前記一(二)(2)認定の様な発症を促す労務であったものとみなければならない。そして原告がバッグ係に復職した昭和四四年八月当時、約六ヶ月の入通院治療により原告の足は痛みも徐々に治まり、次第に快方に向かいつつあったと考えられること、原告が再び本格的な足の痛みを訴えるようになったのは、別表(一)および(二)にみられるように、従来まで二人(あるいは三人)で担当していたバッグ係の業務を、日曜祭日等特に忙しい日にアルバイト補助がつけられたほかは原告一人で担当するようになった昭和四五年四月ごろからであることなどの事実を総合すると、原告の本件足の悪化は広義には被告の主張する原告の既往疾病の再発的疾病であることは否定できないにしても、直接的にはバッグ係の業務、とりわけ昭和四五年四月頃からのそれが右発症の引き金としてこれに基因していることを否定できない。

≪証拠省略≫によると、京都労働者災害補償保険審査会は、京都上労働基準監督署長が、本件につき原告からの労働者災害補償保険法による療養補償給付および休業補償給付の請求に対して昭和四七年二月一九日付でなしたこれを支給しない旨の処分を維持して、右原処分に対する原告の再審査請求を棄却する裁決をしたことが認められる。その理由は、「原告の膝外側半月板損傷及び膝関節症は原告が既往症として有していた者であり、右腫骨棘及び右アキレス腱周囲炎も業務に起因する疾病であるとは認めがたい。バッグ係の職務は軽易な労働であると認められ、原告の勤務も特に過激であったとは考えられない。これらの症状にバッグ係としての勤務が多少の影響を与えたということは推測されるが主たる要因は請求人の有する既往症及び素因によるものであって、業務起因性がない」とするものである。当裁判所も半月板損傷を含め原告の右既往症がいわゆる職業病であるとの認定はこれを積極になし得るものではない。しかし、そのように既往症それ自体に業務起因性がないからといって、そのことから、それの再発ないし増悪と業務との因果関係を否定することはできないのであって、本件の場合においても、原告の足を使う度合が通常人の日常生活と同じ程度であっても、なお本件足の悪化がもたらされたであろうことが窺われる顕著な事由が見出されない以上、前認定のバッグ係としての労務、なかんずく四月以降の勤務状態が右再発、増悪に直接的影響を及ぼしたとみるべきであって、これを原告につき、軽易な労働であって、多少の影響に止るものとして、因果関係を否定する見解には直ちに同調できない。なお、労災保険法適用上は、背後に保険団体の健全な維持を考えるとき、「労災」の範囲をむやみに拡大することもまた慎重を期さねばならないところであり、本件においても右労災裁決は、どちらかといえば、本件疾病とバッグ係の労務との間の職業病的因果関係の存否という問題の把握に重きが置かれて、右の判断に達した面もなしとせず、原告の具体的な労務状態の変化に則して、被告会社の具体的な責任の存否を探求しようとする本訴の判断に右裁決を直ちに援用することも適切を欠くものといわなければならない。

(二)  被告会社の責任

およそ、使用者が被傭者を業務に就かしめるに際して、その業務の執行が、被傭者の健康を損う虞れのある場合には、これを防止する措置を講じて、損害の発生を防止すべき義務があり、疾病により休業していた者を復職せしめる際にも、復職後の業務が右疾病を再発、増悪せしめることのない様に配慮すべき注意義務が存するものというべきである。(なお、そのため、被傭者の復職が制限され、又は復職後の職種が制限される結果、賃金その他において、被傭者が反射的不利益を蒙ることがあっても、それは致し方のないことである。)

本件の場合原告は左膝半月板損傷の摘出手術を受けて余後治療としての通院中の復職であって、未だ、長時間の歩行や重い荷物の持ち運びあるいは階段の昇り降り等足に負担のかかる業務への就労は差しひかえなければならない事情にあったところ、被告会社の西コースの事実上の支配人であった石井は、原告のそれまでの疾病の経過、原告自身が復職を渋っていたこと、未だ跛をひいていたこと、自分自身もキャディは無理であると判断したことなどから、右事情を推察し得べきであったと考えられるから、前記二の(一)の(4)に認定した様な業務内容であるバッグ係への就労も、原告の疾病の再発・増悪を齎らすことにはならないかに思を致し、最少限直接医師の意見を徴して就労させ、その後も当分の間は、原告の足の状態に注意を払っていなければならないものであったところ、医師の意見を直接徴することなく、漫然バッグ係へ配属したうえ、昭和四五年四月以降の繁忙期に入ってからは、従前二人又は三人を配属しておいたのを多忙な日曜・祭日などにはアルバイトを付けたものの、原告一人の配属とし、その後間もなく原告から足の疼痛を理由に増員要求があったのに、直ちに医師に診断させるなり、原告の業務内容を緩和するような特別の施策を講ずることもなく、その後二月以上もそのままに放置していた点に、前記使用者としての注意義務に欠くるものがあったといわざるを得ない。

よって、被告会社は民法七一五条により、原告の蒙った後記損害を賠償する義務を負う。

(三)  原告の過失

原告の足の悪化が直接的にはバッグ係の業務に起因し、被告会社がこれに対し責任を負うべきことは右に述べたとおりであるが、前述の如く、原告には右足外側半月板損傷(摘出)、左膝変形性関節症、右踵骨棘等本件足の悪化の起因となる既往疾病をもっていて、長時間の歩行や重い物の運搬あるいは階段の昇降を伴う作業など足に負担のかかる業務は差しひかえなければならない事情にあり、そのことを主治医から注意をうけていたのであるから、原告としては不断に自己の足の健康に注意を払って、自らもその健康を十分に管理すべきところ、原告は、いまだ手術後の療養中で完全には足の健康を取戻していない時期に、主治医には事務的な労務に復するのだと申告して、その諒解を得、職種からして物の持ち運びや階段の昇降等を免れられないバッグ係の業務に安易に復職し(この点、原告は本人尋問で、石井は「座ってだけいればよい」といった旨供述するが、証人石井の証言に照らしたやすく措信し難い。)、その後、四五年四月に一人になって足の苦痛を覚えてからも増員を要求はしたものの、なお一月ほどは医師にかかることもなく業務を続け、敢えて早期に休業しようともしなかったものであって(被告会社が休業を許さなかったと認めるに足る証拠はない。)、このような原告の自己の健康に対する配慮の足りなさが、本件足の悪化を促す一因となったことも否定できないところである。

そして、本件結果に対する原告の右不注意の寄与した割合は三割五分と認められる。

三、損害

(一)  休業損害

原告は被告会社にバッグ係として勤務していた昭和四五年五月、および六月にそれぞれ三万五、八七二円および四万二、七四四円の給与を支給されたことは当事者間に争いがないから、原告は休職当時平均三万九、三〇八円の月収を得ていたものと認められるところ、前記一(一)の当事者間に争いのない事実、≪証拠省略≫を総合すると、原告は昭和四五年六月二三日被告会社を休職して以降、昭和四六年一一月三〇日に被告会社を退職するまでの一七ヶ月間は本件足の悪化の治療のため滋賀病院、大津市民病院、寺内整形外科病院にそれぞれ入院あるいは通院し、他に稼働し得る状態になかったと認められるから、この間の休業による損失は、

三万九、三〇八円×一七=六六万八、二三六円と認められる。

そして、≪証拠省略≫によると、原告はその後の一九ヶ月間(昭和四六年一二月ないし昭和四八年六月まで)も他へ就労することなく、右寺内整形外科病院に一週間ないし二週間に一度の割で通院して治療を継続していたことが認められるが、右各証拠によるとこの間の原告は全く就労不能であったとは認められないので、労働能力喪失の割合に応じた逸失利益を損害として把握すべきものであるところ、その喪失率は、昭和四五年五、六月当時の水準よりも四〇%落ち込んだ程度と認められるから、この間休業によって原告の蒙った損失は、

三万九、三〇八円×一九×〇・四=二九万八、七四〇円(円未満切捨、以下同様)と認められる。

したがって、原告が足の悪化により三年間休職を余儀なくされたことによる損害は合計金九六万六、九七六円となる。

もっとも、原告は、本件足の悪化は業務疾病にあたるから、労働基準法一九条、七六条により、使用者は休業開始以降三年間は原告を解雇し得ないこととなり、その期間中平均給与の六割相当額を休業補償として支払うべき義務があるから、本件不法行為によって生じた原告の休業による損害も右休業補償相当額であると主張するのであるが、その意味するところは、原告の本件請求が、労働基準法による休業補償の請求ではないことはもとより、被告会社の原告に対する本件解雇そのものを不法行為として違法な解雇なかりせば得べかりし休業補償金相当額を損害として訴求するものでもなく、被告会社が原告をバッグ係に復職させたことにより足の悪化を招いたことを不法行為として、これによって休業を余儀なくされた結果生じた現実の損害(休業損失)のうち三年間分を休業補償名義で請求しているに過ぎないものと解されるから、その損害を以上のとおり認定することに何らの支障もない。

(二)  慰謝料

前記一記載の、復職による原告の疾病の悪化の状況、程度、治療の経過および期間、その他諸般の情状に照らすと、原告が本件不法行為によって蒙った精神的、肉体的苦痛に対する慰謝料は金一〇〇万円が相当である。

(三)  過失相殺

以上(一)および(二)の合計は金一九六万六、九七六円となるところ、本件損害に対する原告の過失(前記二(三))を斟酌すると、被告会社に賠償せしめるべき金額は金一二七万八、五三四円となる。

(四)  弁護士費用

本事案の難易、請求・認容各金額その他諸般の事情に照らし、被告会社に請求し得る弁護士費用額は金一三万円と認める。

四、原告は右損害賠償請求のほか、これと選択的に債務不履行による損害賠償を請求しているが、本件においては後者によって生ずる損害の範囲が、さきに認定した前者による損害の範囲と異るところがあるとは認められないので、その余の内容について判断する限りでない。

五、以上の次第であって、原告の本件請求は、金一四〇万八、五三四円およびこれに対する本件不法行為の後の日である昭和四七年四月二〇日から支払済まで民法所定年五分の割合による法定遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、民事訴訟法八九条、九二条但書、一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 潮久郎 裁判官 笠井達也 仲野旭)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例